男女の根源的な役割

男女

男女のエネルギーの根源的な役割の違い

男女の違いというのは、肉体的な器官としてのそれぞれの役割の違いもありますけれども、根源的に男性のエネルギーと女性のエネルギーはやはりその役割が異なっています。

それはこの大宇宙に流れる愛の摂理の中で、神により男性に与えられている力と女性に与えられている力があるのです。

男女というのは競い合うようなものではなく、本質的に自らがどのようなエネルギーを持っているのかに気づき、互いに手を取り合って協力して生きることにより、より大きな愛を表現していくことができます。

男女に分かれている意味というのはそこにあり、分かれていたものが一つになり、融合していくことで一人ではできないことができるようになる。男女のエネルギーの循環によって新たなものを創造し、生み出していくことが可能になるという、非常に根源的な意味合いを持っているのです。

大宇宙の根源の神は男女のエネルギーが一体化している

元々、この大宇宙の根源においては男性のエネルギーと女性のエネルギーは一体になっています。

宇宙の神のお姿においては男女のエネルギーが一体化して存在しており、その両方のエネルギーによって宇宙のあらゆるものが生み出され、命を吹き込まれて存在しています。そこに創造原理が働き、らせんを描きながら男女のエネルギーが渦を巻くようにして万象万物は生み出されているのです。

根源的には一体となっている男女のエネルギーを、神は男性と女性のエネルギーに分けられました。

男女それぞれのエネルギーはどのような役割を担っているのでしょうか。

男女のエネルギーにはどちらにも大きな力がある

男性のエネルギーというのは、一言で言うなら「積極性」です。自らのエネルギーで外側に対して働きかけ、発散し、たとえば、社会を発展、進化させていく力です。

男性のエネルギーは意志力や行動力、知性や理性をもって世界を発展させていくために生かされているものです。

それに対して、女性のエネルギーは「受容性」という言葉に象徴されるように、受け止めるエネルギーです。

男性のエネルギーが外に向けて発信するエネルギーであるとすれば、女性はそれを受け入れることで新たなエネルギーを生み出していける力を持っています。

それはたとえば、子どもが宿ることを考えれば分かりやすいかもしれません。男性の愛を自ら受け止め、受け入れて、また新たな命を生み出すことができる。そのような根源的な力を与えられているのが女性です。

このように男性のエネルギーと女性のエネルギーというのは、どちらが上とか下とか、優れているとか劣っているということではなく、どちらにもかけがえのない役割が与えられているのです。

男女に分かれた魂の旅

宇宙の根源のエネルギーは男女合一であり、男性原理と女性原理が一体となっているように、元々人間の魂というのは男女一体のエネルギー体として生み出されています。

そのように一体だった魂が男性の魂と女性の魂にそれぞれ分けられ、離れます。そして、分かれたそれぞれが魂の学びを続けながら、この大宇宙に生み出された、かけがえのない神の子として自らの個性と役割とは何なのかに気づいていく、自分自身と出会っていく永遠の旅路を歩んでいるのが私たちという存在です。

男女に分かれた魂には、元々一体だった魂の片割れがいて、根源的にお互いのエネルギーを補い合うような相手がいます。それは誰でも彼でもいいということではなくて、魂がつくられたときより深く結びついていた相手であって、元々男女一体だった魂のパートナーです。

魂の永遠の旅路の中でその相手と出会っていくという、そのようなロマンチックなプロセスが埋め込まれていて、ある程度の魂の境涯にならないとその相手に出会っても分からないと言われています。まずは自らの魂の進化、成長が求められている段階があって、その先に根源的なパートナーと出会い、惹かれ合い、共に仕事をしていくという道がある。

宇宙の中で進化した星においてはすでに魂のパートナーと出会い、一緒になって仕事をしている人たちもいるようです。今の地球ではまだ魂のパートナーと出会っている人は少ないようですけれども、これから先、私たち地球人の認識が上がり、惑星としてステップアップしていけば、根源的なパートナーと出会うようになる人たちも増えていくはずです。

神は肉体の機能の中にも愛の喜びを埋め込まれた

男女に分かれているというのは非常に本質的な意味があり、肉体的な意味においても、男女が本当の意味で愛し合い、性的に交わり合っていく姿をもって大きな喜びを感じるようにつくられています。

それは人間の肉体機能の中にも、セックスによって感じられる愛の喜びを神は埋め込まれているということです。

心から愛し合う男女二人が性的な交わりによってエクスタシーを感じるとき、それは神の愛に通じる喜びであり、その行為は決して汚いとか卑しいというものではありません。

もちろん、むやみやたらな異性交遊がいいということではなくて、お互いに心から惹かれて愛し合う男女の姿というのは大変尊いものであるということです。

異性に触れるだけで罪悪感を感じてしまうという人も中にはいるかもしれませんけれども、そのような罪悪感を感じる必要はなく、男性だけでも、女性だけでも新たな命を生み出していくことはできません。

そこにはやはり男女のエネルギーの交わりがあって、新たな命が生み出されていくという、宇宙の根源における男女一体化したエネルギーをもって宇宙の神ご自身があらゆるものを創造されているというお姿があります。