先日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で光の柱の祈りを行いました。





一緒に参加していた仲間たちとともに、ルルドの洞窟の前で光の柱の祈りを捧げました。
その後、教会の中に入りまして、教会の中には献金をすると、いただける言葉の包みがありました。
献金後に一つ手に取って開くと、次のメッセージが記載されていました。
「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。人はみな私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は多くの実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何も出来ないからである。(ヨハネ福音書 15章5節)」
このメッセージから、みなさんは何を受け取りますか。
ここで言う「私」とは、もちろんイエス・キリストでもありますが、「神」と言い換えることもできます。キリストが神の立場として、神になり代わって述べた言葉でもあるわけです。
神はぶどうの木であり、私たちはその枝です。私たちはみんな神につながっています。神が私たちにつながっていれば、その人は多くの実を結びます。神を離れては、私たちは何もできないからです。
ここで、「神が私たちにつながっていれば」とはどういうことでしょう?
それは、私たちの心の思いが神の思いに通じているかどうか、ということです。私たちには自由意志が与えられ、何を思うのも自由です。愛の心を持つのも、エゴの心を持つのも、それぞれの自由意志であります。
神の思いとは無限の愛でありますから、私たちが愛の心でなければ、波長同通の法則により神の思いに通じること、すなわち神につながることはできません。
神の愛に通じていれば、多くの実が結ぶ。
実とは、愛の表現です。
つまり、互いに赦し合い、分かち合い、生かし合うことなどによって、自分ではなく他者の幸せのためにつながる。
また別の言い方をするのであれば、それは寛容であり、優しさであり、誠実であり、自制であります。
そして、神を離れては何もできないというのは、木から離れてしまっては実はならないということです。
枝が落ちれば、木から巡ってくる養分は得られず、枯れてしまいます。
それがまさにエゴに走った姿を表しています。
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