人生は魂修行である【この世は魂の修行場】
普通に生きていると、幸せに思えることも、不幸せに思えることもやってきます。
たとえば、仕事がうまくいって新しいお客様が増えた。この調子でどんどんやっていこうと思っていたら、急に大きなミスをしてそれまで一番のお得意様だったお客様の信頼を損ね、自分のところのものを全く買ってもらえなくなってしまって大きなマイナスとなってしまった。幸せを掴みかけていたと思ったら、一気にひっくり返って不幸がやってきた。
他にも、たとえば好きな人がいるんだけど、なかなか振り向いてもらえない。色々と努力をしても、追いかければ追いかけるほど逃げられてしまって、結局ふられてしまう。そうなると、もう不幸のどん底に落とされたような気がして、人生終わったような気持ちになり、何も手につかなくなってしまう。
私たちは十人十色で様々な人生経験をしているわけですけど、思ったこと、願ったことがなかなか成就しないということはよくあるものです。それをどのように捉えるかで、幸せにもなれば、不幸せにもなっていきます。
そのような人生経験というものはすべて魂修行の過程であるということを忘れたとき、不幸が始まっていくのです。基本的に、私たちの人生というものは魂修行であるという観点が必要であり、それが意識から抜け落ちたとき、不幸が始まっていくのです。
何もかもうまくいく人生から学べることは一つもない
なぜなら、人間が生まれてくる理由というのは魂修行そのものであり、その観点から人生経験を捉えたとき、幸せな出来事も不幸せな出来事もすべてが魂の糧になるからです。不幸に思えることや思ったようにならないことこそ、実は魂にとって大きな肥料となるのです。
仕事がうまくいかない、恋愛がうまくいかない。その間、非常に大きな苦しみのように感じられますけど、そのときにこそ魂に輝きが加わるのです。時間はかかりますが、努力して心折れずにがんばっていく。そこに素晴らしさというものが出てきて、魂が輝いてくる。それこそが大変大きな幸せになるのです。
人生というものは言ってみれば、砥石で金属を磨くようなものです。硬い砥石で磨けば磨くほど、金属はピカピカ光ります。それと同じで、人生でうまくいかないことが砥石となり、魂を磨き上げることで、その人自身が光輝いていく。魂が光輝くことは人間にとっては喜びそのものなのです。
思った通りのことが起きないからこそ生きがいも出てくるのであり、もしすべてがうまくいくような人生であれば、それは全くつまらない人生になるはずです。
そこには何の学びもなく、何の成長もない。そのような人生をご自分で望みますかということです。そのようなものを私たちが望むわけがないのです。それであれば、生まれてくる必要が全然ありません。
魂の輝きとはその人の内面からにじみ出してくるもの
「魂が輝くなんて全然目に見えないじゃないか」と思われる人もいるかもしれません。
でも、この人は輝いているなと感じる人があなたの周りにもいるんじゃないでしょうか。いつも笑顔で明るく、前向きに生きている人。人を悪く言わず、謙虚に努力を続けている人。それは外見がキレイで輝いているのではなく、やはり内面なのです。
魂の輝きというのはやはり内面からにじみ出してくるものであり、その人の経験を通して、表に現れてくるものなのです。
すべての人生経験は魂修行の過程にあるという本来の観点を忘れたとき、不幸というものは単なる苦しみを与えるだけの不幸となってしまいます。しかし、本当はそのようなものではないのだということ。不幸に思えることこそが、より大きな幸福の種になっていくということ。
それこそが基本的に私たちが生きていく上で忘れてはいけない観点だと思います。