仕事の大きなミスと失敗から不幸のどん底に
生きていると、幸せに思えることも不幸せに思えることもやってきますよね。
例えば、こういうことはありませんでしょうか。
自分の携わっている仕事がようやく上手くいき始めて、新しいお客様が増えてきた。
この調子でどんどんやっていこうと思っていたら、急に大きなミスをしてしまい、それまで一番のお得意様だったお客様の信頼を損ねてしまった。
そして、契約が解除されて、会社としても大きなマイナスとなってしまった。
社内での評価も大きく下がり、お先真っ暗な状態になってしまった。
幸せを掴みかけたと思ったのに、一気にひっくり返って信じられない不幸がやって来た。
そんなこともあるかもしれません。
好きな人が振り向いてくれない苦しみ
他にも、例えば、好きな人がいるんだけど、なかなか振り向いてもらえないということもあるかもしれません。
色々と努力をしても、追いかければ追いかけるほど逃げられてしまって、結局ふられてしまう。
そうなると、もう不幸のどん底に落とされたような気がして、人生終わったような気持ちになり、何も手につかなくなってしまう。
私たちは十人十色で様々な人生経験をしているわけですけど、思ったことや願ったことがなかなか成就しないということはよくあるものです。
そのときにそれをどう捉えるか。
その捉え方が極めて重要なことなのです。
すべての人生経験は魂修行のためにある
あらゆる人生経験はすべて魂修行のためにあります。
それを忘れたときに不幸が始まっていくのではないでしょうか。
本質的に、私たちの人生というものは魂修行であるという立脚点に立つ必要があるのです。
それが意識から抜け落ちたときに、人間の不幸が始まっていくのです。
人間がこの世に生まれてくる理由というのは魂修行そのものであり、その観点から人生経験を捉えたときには幸せな出来事も不幸せな出来事もすべてが魂の糧になるのです。
何もかもうまくいく人生から学べることは一つもない
不幸に思えることや思ったようにならないことこそ、実は魂にとっての大きな糧となるのです。
仕事が上手くいかない。
恋愛が上手くいかない。
その間、非常に大きな苦しみを味わうように感じられますけど、そのときにこそ魂が磨かれ、そこに輝きが加わるのです。
人生というものは言ってみれば、砥石で金属を磨くようなものです。
硬い砥石で磨けば磨くほど金属はピカピカ光ります。
それと同じで、人生で上手くいかないことが砥石となり、魂に磨きがかかることで、その人自身が光輝いていくのです。
魂が光輝くことは人間にとっては喜びそのものなのです。
思った通りのことが起きないからこそ生きがいも出てくるのであり、もしすべてがうまくいくような人生であれば、それは全くつまらない人生になるはずです。
そこには何の学びもなく、何の成長もありません。
魂の輝きとはその人の内面からにじみ出してくるもの
「魂が輝くなんて全然目に見えないじゃないか」と思われる人もいるかもしれません。
でも、この人は輝いているなと感じる人があなたの周りにもいるのではないでしょうか。
いつも笑顔で明るく、前向きに生きている人。
人を悪く言わず、謙虚に努力を続けている人。
それは外見がキレイで輝いているのではなく、やはり内面なのです。
魂の輝きというのは内面からにじみ出してくるものであり、その人の経験を通して、表に現れてくるものなのです。
不幸なことも魂を磨く砥石として
すべての人生経験は魂修行の過程にあるという本来の観点を忘れたとき、不幸というものは単なる苦しみを与えるだけの不幸となってしまいます。
しかし、本当はそのようなものではないのだということです。
不幸に思えることであったとしても、それにより魂が磨かれ、いずれ大きな幸福につながる砥石になるということです。
それこそが私たちが生きていく上で忘れてはいけない観点だと思います。
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