病気が意味するもの〜人生の価値観が変わるとき〜

人生の悩み

病気による人生観の変化

みなさんは病気に対してどのような捉え方をしていらっしゃるでしょうか。

普通は「病気にはなりたくない。苦しかったり痛かったりするのは嫌だ。ずっと健康で過ごしたい」と多くの人は思っているのではないかと思います。

しかし、大病を患った人たちの中には、病気になることで人生を大きく変えるような気づきを得たり、人生観が良い意味で大きく変わったという人もいますよね。

病気になるということは、もちろんそこに原因があり、それは他でもない自分自身がその原因を作っているわけです。

しかしながら、病気を通してそれまでの価値観が大きく変わったり、周りの人たちに対する大きな感謝の気持ちが湧いたりするという人がいることを考えると、単純に病気というものが嫌なものなのではなく、本当はありがたいものなのではないか。

そんなふうにも思えてくるのです。

「天の啓示かもしれない」と自分を見つめ直す機会に

先日、フリーアナウンサーの笠井信輔さんのウェブ記事を読んだのですけれども、笠井さんはフジテレビのアナウンサー時代は自分のために猛烈に働いていて、家にいる時間も短く、家族の言うことも聞かない父親だったそうです。

私も当時よくテレビで拝見してましたけれども、笠井さんはフジテレビのアナウンサーだった頃は人気者になるのが夢で、ただひたすらがむしゃらに働き、アナウンサーとしての評価とスキルを上げることだけを考えていたそうです。

しかし、会社を辞めて独立した直後にステージ4の悪性リンパ腫であることが発覚し、入院して治療に専念することになりました。

家族のサポートを受けながら治療を続ける中で、高校生の息子さんたちが卵焼きを作って持ってきてくれるようになったり、お風呂や食器洗いなどを率先してやってくれるようになったりして、家族の優しさを感じてとても嬉しくなったそうなんです。

そして、ガンになったことが、それまでの会社人間として猛烈に自分のためだけに働く生き方を変えなさいという天の啓示かもしれないと思ったと言われていました。

もう少し周りを見て、余裕のある生き方をすることでこの先の幸せがあるのではないか。

そのように病気によって人生観が変わり、別の生き方をしてみようと、新しい人生を選ぶきっかけになったそうです。

そのような話を聞くと、やはり病気がただの苦しみなのではなくて、人生観や生き方を良い意味で変えていくための機会として、自らを見つめ直すためのありがたいきっかけとしての時を与えられているのかもしれません。

もちろん、だからと言って積極的に病気になったほうがよい、などと言うつもりはありませんけれども、病気には苦しみの面ばかりではなく、ある意味では喜びの面もあるのだと思います。

自ら作ってしまった魂の曇りを浄化するために

病気になる原因として、肉体的な不摂生のケースは分かりやすいですけれども、それ以外のケースでは、肉体的に病として現すことで魂が浄化されていることも多いのです。

魂というのは神から分かれた愛のエネルギー体そのものであり、あの太陽のように丸く光り輝いているものです。

魂には本来、一点の曇りもなく光に満ち満ちているものです。

しかしながら、肉体の中に魂が宿って生きる中で、どのような思いを持ち、何をするのかはそれぞれの自由意志の中で選び取っていくものであり、神の子として魂の本来の愛のあり方に反するような生き方をしてしまうこともあります。

そのときに魂としての苦しみが生まれていて、魂を曇らせてしまっているのです。

その曇りを病気として肉体に現すことで、その苦しみをもって曇りを晴らし、魂を浄化しているということがあります。

その原因は今回の人生だけに限りません。

過去世からの積み重ねの中で、魂の中で大きな曇りになっている部分があるのならば、本人の意志によりそれを今世において肉体に現して病気となることで、多くのカルマが解消されていくということもあります。

神の子として光り輝く新たな人生を生きる

病気という苦しみを通して人は学ぶことや新たに気づくことがあり、神の子としてより光り輝くような人生を新たに送り始める機会にもなるものなのだと思います。

そして、今後は同じような魂の曇りを自ら作らずに生きるという、そのような新たな生き方を選んでいける機会にもなっているのではないでしょうか。

人は病気をきっかけに新たに生まれ変わることができるのかもしれません。

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