光とは神の愛の表れ
光とは何でしょう?
それは神の愛の表れです。
神の光は大宇宙より流れ、天の川銀河を通り、太陽から地球へ送られてきます。
そして、地球へ送られてきた神の光はプリズムのように七色に分光されて、九次元から下の次元へ降ろされていきます。
あの世では私たちはそれぞれ、その七色の光線のうちのどこかの色の霊域に所属しているのです。
実際には七色よりも多い色合いがありますが、大きく七色に分かれた光線には、それぞれに役割と使命が含まれているのです。
緑光線は「調和」を表している
神の光の中で、緑光線は「調和」を表すものです。
では、神の世界における調和とは何なのでしょうか。
調和というのは、まとまりがあって整っている状態のことを言いますよね。
それは大自然に現れている調和というものが良い例ですよね。自然界を見れば、非常に調和した世界がそこには展開しており、大自然には神のお心が表現されているとも言われます。
その一方で、私たち人間が集まると、そこには不調和なことも多々起こりがちです。
この世界、この大宇宙の中で、私たちは自分一人だけしか存在していないというわけではなく、様々な個性を持ち、様々な価値観を持った人たちがいます。
身近なところで言うならば、例えば、会社や職場、学校、地域の集まりなどであってもそうです。
そこには自分だけが存在しているのではなく、誰もが同じ神の子ではあっても、考え方、性格、意見などが異なり、その一つの場というものを共有して生きています。
そのときに不和が生じて、互いに衝突し、意見の食い違いなどから争い、ケンカをするような不調和な状態が生まれることはよくあります。
なぜ、そのような不調和が起きるのでしょうか。
互いの違いを受け入れることの難しさ
それは、互いの違いを認めることができないからです。
人は自分との違いを受け入れることが簡単にはできないものです。
その違いを受け入れてしまえば、それまでの自分が否定され、自分の存在価値が崩れてしまうような気がするからです。
そうなると、我を張ってしまい、自分の思いや価値観だけを押し出してしまうというような状態になり、そこに不調和が生まれてくるのではないでしょうか。
そして、「自分は正しい。間違っているのは相手だ」と自己正当化をして、他人を責めるということはよくあることですよね。
不調和の原因は互いに尊重し合う愛の思いの欠如
そのときに調和を生み出すために欠けているものは何でしょうか。
それは他人の考えや意見を尊重しようという愛の思いです。
相手の立場や相手が置かれている今の状況にも思いを寄せて、理解し、それを「受け止める」。
「受け入れる」ことは難しかったとしても、それに比べれば、相手を受け止めて尊重することはそれほど難しいことではないと思うのです。
受け止めるということを分かりやすく言うのであれば、相手(の存在)を否定しないということです。
すべての神の子に与えられている唯一無二の個性と素晴らしさ
本来、自分と他人の違いは素晴らしいものなのです。
なぜなら、神は誰一人として同じ個性を持つ存在をおつくりにはなっていないからです。
神はすべての神の子たちに唯一無二の個性を与えられ、一人ひとりにその人にしかない素晴らしさを埋め込んでいらっしゃいます。
どんなに自分と異なる個性を持った相手であれ、自分も相手も同じく尊い神の子であり、神の表れです。
自分が素晴らしいのと同じように相手も素晴らしい存在なのです。
その個性の違いを受け止めて、認め合い、それぞれがそれぞれの素晴らしさを最大限に発揮しながら、より大きな和というものを生み出していくのが神の世界における調和というものです。
緑光線の使命と役割
神の光の分光の七色の光線は、九次元霊がそれぞれの色を受け持たれています。
緑の光線を担当している九次元霊はマヌとゼウスです。
神の調和の原理を示し、表していくのが緑光線に属する人たちの使命でもあり、役割でもあるのです。
それは老子や荘子の老荘思想において「無為自然」とも言われますけれども、そのような生き方にも表れているものです。
芸術は神の愛の表現媒体
その緑光線の中に芸術もあります。
芸術とは、絵画や音楽、彫刻、文学、建築などの様々な作品をつくり、多くの人々を幸せに導いていくものです。
神の子のハートに共鳴するような愛の波動の作品をつくり、この世界を愛で彩っていくものです。
作品をつくるときに、自己本位な、自己の評価や名声を高めたいという思いであったり、お金が欲しいという思いでいるならば、大宇宙の神の愛に同通するインスピレーションは受けられません。
より多くの人たちの幸せのために、無私なる思いの中で、神の愛の波動にどれだけ自らを合わせていけるか、感じ取っていくことができるか。
神とは大宇宙を貫いている愛の法そのものであり、あらゆるものを生かし、育んでいる愛のエネルギーそのものです。
「神など存在しない」というような思いの中でつくられる芸術作品は、本来普遍的なものではないのです。
なぜなら、芸術というのは神の愛の表現媒体以外の何ものでもないからです。
神は最大の芸術家
神は最大の芸術家だと言われます。
神がおつくりになられたすべてのものは神の芸術作品です。
それは、私たち人間もそうですし、動物や植物、鉱物であってもそうなのです。
万象万物が神の世界における愛の彩りであって、例えば、動物一つとっても本当に多種多様な形や色、性質など、それぞれ異なっている動物たちがこの世界には存在していますよね。
その動物たちもすべてが私たちと同じように神の子であり、兄弟姉妹なのです。
調和とは神の子同士で生み出すハーモニー
調和というのは、神の子同士で生み出していくハーモニーです。
人間だけがこの地球に住んでいる唯一の存在ではありません。
人間の都合だけで、自分たちのやりたいように自分勝手に生きているところに調和などありません。
この星で共に生きている動物や植物、鉱物たちのことも尊重し、互いを気づかい、愛と優しさ、信頼をもって生きること。
みなさんは同じ神の子として、動物や植物、鉱物たちとコミュニケーションを取っていますか。
「彼らは言葉が話せないし、人間の思いや言葉なんか理解できないでしょう」と思っている人もいるかもしれませんけれども、本当はそんなことはなくて、実際に人間の思いや言葉はしっかり彼らに伝わっているのです。
彼らがどう思い、どう感じているか。それを感知することが私たちにはできていないだけでしかありません。
愛と調和の中から進化が生まれる
そして、神の世界における調和の意味とは、それが進化を生み出す土台になるということです。
愛と調和の中から新たな進化は生まれ、それらなきところに進歩は生まれません。
殺伐としたような、互いに傷つけ、争い合っているような状態の中から、次なる進化は生み出されるものではありません。
それはこの大宇宙においても同じであり、神の子たちの調和が次なる進歩を生み出し、それによってこの大宇宙全体の進化、発展につながっていくのです。