
最近、ふと考えるんです。「自分は何のために生きているんだろう?」って。お金を稼ぐため?地位や名誉を得るため?それとも楽しむため?

多くの人がそう考えますね。でも、実はそのどれもが本質ではありません。本当の目的は、魂を成長・進化させ、愛を実践することです。

魂の成長…愛の実践…。ちょっと難しそうに聞こえるけど、どういうことですか?

私たちはこの世に生まれるとき、それぞれに「課題」を持ってきます。それはカルマとも呼ばれますが、過去の人生(過去世)で未完成だった学びを、今世で修正しようとしているのです。

じゃあ、自分の課題って、どうやって分かるんですか?

簡単には分かりません。けれど、これまでの人生を振り返ることでヒントが見えてきます。何度も同じような出来事に出くわしたり、同じ反応をしてしまうとき、それは課題のサインです。

たとえば、つい誰かを傷つけてしまうとか?

そうです。弱い人をいじめてしまう、自分でも抑えられない衝動がある。神の視点から見て、それが「愛の方向」に反しているなら、「その状況で愛を選べるか」がその人の学びになります。

つまり、同じような試練が繰り返されるのは、克服するためなんですね。

その通りです。行動のクセを修正し、愛の選択ができたとき、課題はクリアされたと言えるんです。

じゃあ、生きる目的は「課題を乗り越えること」と「愛を実践すること」なんですね。

そうですね。特に愛の実践とは、人を幸せにすること。困っている人を助ける、苦しんでいる人を支える、意見が違っても協力する、裏切った人を赦す…。これらがすべて愛の行いです。

でも、見返りを求めてしまいそうです…。

愛の実践は無心で行うもの。見返りを求めたとき、その愛は力を失ってしまいます。ただ、与え続けること。そこに本当の喜びが宿る。

人との出会いも、偶然じゃないんですよね?

そうなんです。親や兄弟、友人や恋人、同僚。すべての出会いは、愛を学ぶために用意されています。もし自分ひとりしかいなければ、愛の実践はできませんから。

なるほど…。愛を学ぶために、みんなこの世界に生まれてきているんですね。

その通りです。だから、生きる意味が分からなくなったときは、「人を幸せにする」ことに心を向けてみてください。たとえ小さなことでもいい。笑顔を生み出す行いをしてみるんです。

相手の笑顔を見たとき、確かに心が温かくなります。

それが答えです。自分の幸せは、人を幸せにしたあとに訪れる。遠回りのように見えて、それが最も早い道なのです。

ありがとうございます。少しずつでも、人を笑顔にできるような生き方をしていきたいと思います。