すべての人間に与えられている自由意志
私たちは心の中でどのような思いを持つことも自由です。
何を思ったとしても、心の中は誰からも干渉されず、侵害されるようなことは決してありません。
そのようにすべての人に自由意志が与えられています。
そして、それは思いだけではなく、行いも同様です。
何をするにしても、たとえ色々なしがらみはあったとしても、それをやるやらないの選択権は自分にあり、誰もそれを侵すことはできません。
自らの思いや行いの結果は自ら引き受けなければならない
自由意志はすべての人に保証されているものです。
しかし、思いや行いによって生じる結果は、良いことであれ悪いことであれ、自ら引き受けなければなりません。
たとえば、誰か気に入らない人に嫌がらせをしてやろうと思い、悪口を言ったり、ありもしない噂を言いふらすとします。
するとどうなるでしょうか。
その相手は不幸せになるわけですよね。心が傷ついたり、周囲から誤解された目で見られて評判というものも落ちていくでしょう。
嫌がらせをした側としては、いっとき爽快感を味わい、人を不幸にすることで幸せを得たような気になるかもしれません。
自分のしたことは自分に返ってくるブーメランの法則
ところが、この大宇宙には「自分のしたことは自分に返ってくる」という法則があります。
本当にシンプルで単純なものですが、この法則に例外というものはありません。
つまり、人を不幸にしたということは、そのまま自分がいずれ不幸を味わうことになる、ということなのです。
ブーメランというのは投げた後に自分のほうに戻ってきますが、まさにあれと同じです。
人に向かって投げたブーメランによって、その結果、自分が幸せにも不幸にもなります。それはすべて自分の手にかかっているのです。
人を幸せにするようなブーメランを投げれば、その幸せは自分に返ってきます。
しかし、人を不幸にするブーメランを投げれば、その不幸が自分に返ってくることになるのです。
起点(=原因)はすべて自分自身であり、その結果は自分が受け取ることになるのです。
人を不幸にする思いや行いは結局自分の幸せの破壊へつながる
たとえば、先ほどの悪口の例であれば、人の悪口を言いふらせば今度は自分が同じように悪口を言われるようになる、ということです。
そのようにして、自分のやったことがいつか自分に返ってくるのです。
それがこの大宇宙を貫いている法則であり、人を不幸にする思いや行いは、結局、自分の幸せを壊すものなのです。
あなたは不幸せになりたいですか。
不幸せになりたいという人はいないのではないでしょうか。
誰もが本当は幸せになりたいと願っているはずなのに、この大宇宙に流れている法則を知らない、または気づいていないがために間違った思いを持ち、幸せから遠ざかっている人が多いだけなのかもしれません。
自分の思いや行いが死んで帳消しになることはない
自分の思いや行いの結果が、今回の人生で返ってこないこともあります。
しかし、それは死んで帳消しになるということはありません。
なぜなら、人間は死んで終わりではないからです。
他人を不幸せにする利己的な生き方を続けていれば、その結果としてあの世で苦しむことになります。
反対に、利他の思いで人の幸せのために生き続けていた人は、神より多くの祝福を受けて、あの世で大きな幸せが返ってきます。
原因と結果の連鎖により大宇宙は貫かれている
すべてのことには原因があり、その結果があるという「原因結果の法則」によってこの大宇宙は貫かれています。
私たちの人生であっても原因と結果の連鎖の積み重ねであり、たとえ偶然に思えるようなことがあっても、それは決して偶然ではありません。
そして、肉体の寿命を終えて死んだからといって、その連鎖が無になるようなことはなく、命は永遠に続いていくものなのです。
たとえ今世における自らの思いや行いの結果を今世で受け取らなかったとしても、また次の人生、来世でその結果を受け取ることになるのです。
そのように永遠に命は続いていきます。
その事実を知ったのであれば、不幸の種ではなく、幸せの種をまき続けること。
明るい思いを持ち、人の幸せのために善なる思いと行いで生き続けること。
それこそが、本当の意味で今世を越えて私たちが幸せになっていく道なのです。
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