阿羅漢(アラハン)とは何か
「阿羅漢(アラハン)」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。
阿羅漢というのは仏教における悟りの一つの段階、一つの境地のことです。
阿羅漢の境地というのは、あの世における次元では六次元の神界から七次元の菩薩界に入るための登竜門になっていると言われており、ある程度、自分づくりができた段階のことです。
人の言葉や行いで心が揺れない境地
では、実際に阿羅漢の境地とはどのようなものを言うのでしょうか。
例えば、人に嫌なことを言われて頭に血が上り、イライラして心に大波が立っているような状態では阿羅漢の境地とは言えません。
また、自分の言うことを周りが聞いてくれず、イライラしてたまらないというのも同じです。
人の言葉や行いで動揺しない心を持っているかどうか。
それが阿羅漢の境地の目安であり、自分づくりができていることの一つの証でもあります。
心が揺れたとしてもすぐに調和を取り戻せるか
自分の心が揺れないでいられるかどうかと言っても、生きていれば毎日色々なことがあるので、全く心が揺れないで生きるというのは難しいかもしれません。
しかし、もし心が揺れたとしても、それをどれだけ早く静めることができるか。
穏やかに心を調和することができるか。
これが一ヶ月も二ヶ月も心に波が立っているようでは苦しいですよね。
その波が一日、二日で収まり、もう忘れているような状態になれるか。
別の言い方をするならば、そのように自分の心をコントロールすることができるかどうか。
阿羅漢の境地とは、自らの心のコントロールのやり方が分かっていて、実際にそれが可能な状態とも言えます。
自分偉しの気持ちが転落の第一歩
阿羅漢の境地まで達すれば、もうそこから後退するようなことがないかと言えば、そんなことはありません。
まだこの段階では心が揺れて逆戻りしてしまうこともあるのです。
その理由の多くは自分を偉しとする増上慢の気持ちです。
「もう自分は悟ったんだ」と思って、謙虚な気持ちを忘れたときに転落が始まるのです。
「俺は偉いんだから黙って俺の言うことを聞け」というような思いが出るようでは、とても阿羅漢の心境とは言えないのです。
守護霊からのインスピレーションを受けやすくなる
阿羅漢の境地になってくると、ちょっとやそっとのことでは動じません。
そして、たとえ心が揺れ動くようなことがあったとしても、すぐにリカバリーができるようになってきます。
ですから、心はいつも穏やかで調和され、清らかになっています。
そのような状態になれば、自然と自らの守護霊と通じ合うような心になってくるので、守護霊からのインスピレーションも受けやすくなります。
他人の気持ちや考えが感じ取れるようになってくる
また、日々の生活においても他人の気持ちが手に取るように分かるようになってきます。
普通はなかなか他人の気持ちなど分からないものですが、目の前にいる相手がどのような思いを持ち、どのようなことを考えているのか。
それが感じ取れるようになってくるのです。
このような状態というのは、人間としてだいぶ完成してきている段階と言うことができるのではないでしょうか。
そして、阿羅漢の境地は誰でも到達することができると言われています。
日頃の自らの心の思いと行いを点検し、心に波が立ったのであればすぐに収めていくという心の訓練を続けていれば、その心境になっていくことができるのです。
阿羅漢の先にある不退転の境地
そして、阿羅漢の先に進むと「不退転」と言われる境地になってきます。
ここまで来ると、もう心が揺れるようなことはありません。
折れることのない鋼鉄の板が心の中に入ったような感じです。
いつも謙虚で高ぶることなく、どうすれば世の中の役に立てるか、迷っている人を救っていけるかということが心の中心になるのです。
この段階になれば、利己主義というものは姿を消して、自分のために生きるのではなく他者の幸せのために生き始めるようになっていくのです。
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