「肉体はなんて重いものなんだろう」
十代の終わり頃、当時大学生だった私がよく思っていたのは「肉体というのはなんて重いものなんだろう。ここから出ればもっと自由になれるのに」ということでした。
その当時、体重は50kg半ばくらいだったと記憶していますが、そのように感じていたのは体重が重くなったとかそういうことではなくて、肉体をまとうことの重さを知らず知らずのうちに感じていたんだろうと思います。
霊的なことなどには全く興味もなく、魂というものがあるなど考えてもいなかったわけですから、なぜそのようなことを思ったのか分かりません。
おそらく無意識のうちに物質的な肉体をまとっていない、あの世にいた頃の思い出がふとよみがえってきたのかもしれません。
思えば即そこに行けるという霊的感覚
それからもう一つ、「肉体は不自由なものだな」と思っていたのは移動についてです。
当時は埼玉に住んでいて、たとえば東京の渋谷に行くにも電車に乗って三十分も四十分も揺られないとたどり着けないわけで、「肉体を持つのはなんて大変なことなんだろう」と思ったりもしたものです。
肉体がなければその場所を思っただけでそこに行けるという感覚が、これもまた無意識のうちに自分の中にあって、「思えばそこに行ける」ということが当然のこととしてあったんだろうと思います。
実際、物質の肉体を持っていなければ、霊的には思うだけでその場に行ったり、現れたりすることが可能なわけであって、本来私たちはそのように自由自在な存在です。
肉体を持つことの尊さや意義深さは確かにありながらも、本来の霊的な姿から見たらやはり実際にはかなり制限された状態にあるのが地上で生きる私たちの姿なのだろうと思います。
魂の飛翔する自由な感覚
シャガールという画家がいます。
妻のベラを一途に愛し、ベラへの愛をテーマにした作品を数多く描いたことから「愛の画家」とも呼ばれますが、空を飛んでいる絵が多いんですね。
ベラを抱きかかえるようにして街の上を飛んでいる「街の上で」という作品や宙に浮いている男性(シャガール自身)がベラにキスをしている「誕生日」など、シャガール自身が浮かんでいるものがよく見られます。
それらは何なのかと言えば、シャガール自身がよく肉体から抜け出していたということです。
いわゆる幽体離脱と言われるものですけれども、肉体から魂が離れて自由に飛び回っていたわけです。
そのときにシャガールが見ていたことや、やっていたことを本人は知ってか知らずか絵にしていたのであって、それらの絵を見ると、シャガールのベラに対する愛はもちろんですけれども、魂の非常に自由な感覚などを覚えるのですがいかがでしょうか。
天使の羽の由来
空を飛び回るというと個人的には「羽」が想起されるのですが、その中でもすぐに思い浮かんでくるのは天使の姿です。
天使たちの姿を思い浮かべるとき、大半の人が背中に羽のついている天使の姿をイメージするのではないでしょうか。
今、現代において地上で生きている人で背中に羽を生やしている人はいないわけですけれども、約2億7000万年前にオリオン座の方向にある星から地球にやって来た人たちは男女ともに大変美しく、背中に羽が生えていました。その姿を見て、地球の天使たちも羽を生やすようになったと言われています。
オリオンという星はこの宇宙の中でも起源が古く、宇宙中に植物や芸術をもたらす星としても知られている緑の星です。
そこでは、三次元の物質世界も軽やかな波動となっており、肉体も軽やかになっていますから、背中の羽で自由に空を飛んでいる人たちもいるそうです。
魂はその魂固有の波動を発している
この世において自分の肉体を好きなように変えるのはなかなか難しいですけれども、霊的な存在としてどのような姿をとるかは魂にとっては自由自在です。
あの世では自分の望む姿形で存在していて、見た目の年齢具合や顔形、髪の毛や洋服などもそうですが、変えようと思えば変幻自在であります。
たとえ姿形が変わったとしても、その人の発している波動というのはその人固有のものであり、それはバイブレーションで分かるものなのです。
私たちは眠っている時に霊的なエネルギー補給をするためにあの世に帰っているわけですけれども、そこでの個人的な体験として覚えていることが一つあります。
どこかの広場のようなところで私の妻に会ったんですけれども、見た目や姿形が地上のそれとは全然違うのにもかかわらず、なぜかそれが妻本人だと分かるんですね。
どんな話をしたのか細かいことは覚えていないのですが、「ああ、妻だ」と感じて、不思議ですけれどもまさに波動で分かるんだなと思った体験でした。
私たちは魂という愛のエネルギー体そのもの
魂というのはまさに愛のエネルギー体であって、形なきものです。
私たち人間は魂が本来の姿であり、魂そのものですから、肉体に宿っていても無意識のうちにそれが思い出されたり、感じられたりするものです。
それは誰にでも感じ取れるものであり、特別なことでも何でもありません。誰もが例外なく霊的な存在であり、意識すればどんどん気づくようになってくるものでもあります。