生きる意味が分からないとき、人はどうすればいいのか

なぜ人は生きるのか

生きる意味が分からないとき、人はどうすればいいのか

人が生まれて、人生を生きる意味や目的は何でしょうか。

「お金を儲けるため?」
「高い地位や名誉を手に入れて人より偉くなるため?」
「快楽を得るため?」

実はそうではありません。

本当の目的は、魂を成長、進化させることです。
そして、愛の実践をすることです。

それが私たちが生きる意味そのものであります。

人はそれぞれ課題を持ってこの世に生まれてくる

私たちはこの世に生まれてくるとき、課題を持って生まれてきます。その課題を「カルマ」とも言いますが、それぞれが自分の魂の課題を持っているのです。その課題は人によって違っているため、みな同じということはありません。

今回生まれてくるよりも前の人生のことを過去世と言います。過去世の人生において失敗してしまったことが課題として残っており、その課題をクリアするために、あの世で人生の計画を立てて生まれてきているのが私たちなのです。

何が自分の課題なのかは簡単には分かりません。

そのヒントになるのは、これまでの過去の人生です。これまでの人生を振り返ってみたときに、同じようなシチュエーションで同じような反応をしてしまうことがあります。

たとえば、弱い人を見るとどうしてもいじめてしまう。自分でも自分を抑えることができないで、ひどい言葉を言ったり、暴力をふるったりして相手を傷つけてしまう。それが良くないことだと分かっているのにやめられない。

神様の目から見たときに、その行いが愛の方向と言えるかどうか

神様の目から見たときに、それは愛の方向に反しているのにもかかわらず、なぜかそのようなことをしてしまう。そのような場合、そのような弱い人に対して、愛をもって接することができるかどうかがその人の課題になっていると言えるのです。

その課題をクリアできるように、何度も同じような場面に出くわすように計画して生まれてきていることもあります。その行動のクセを修正することができれば、その課題はクリアできたとも言えるのです。

人生を生きる目的の一つが魂の課題をクリアする、カルマを返すということだとすれば、もう一つの目的は愛を実践するということです。

愛の実践とは人を幸せにすること

愛の実践とは何でしょう?

それは人を幸せにする行いです。
困っている人がいれば助けてあげる。
苦しんでいる人がいたら支えてあげる。
意見が違っていても、一つにまとまりお互いに協力し合う。
自分を裏切った人を赦す。

人生の途上で、私たちは様々な人たちに出会います。
親子として、兄弟姉妹として、夫婦として家族の中で互いに愛を学ぶこともあるでしょう。友達や知り合いも偶然出会っているわけではないのです。

もし、この世界に自分一人しかいなかったら愛の実践などできません。人生の中で出会う多くの人たちがいるからこそ、愛の実践をすることができるのです。

その際に、相手に見返りを求めたら、それは愛の実践ではなくなってしまいます。愛の実践は、ただ無心に行い続けるものであり、見返りを求めたときに愛は死んでしまうのです。

生きる意味とは魂を進化させて、愛の実践を行うこと

人生を生きるというのは、魂を成長、進化させることです。

そして、愛の実践です。

生きる意味が分からないとき、人の幸せのために自らの人生の時間を使ってみることです。一つでも、二つでも、人を笑顔にする実践をしてみることです。

その相手の笑顔を見るとき、必ず幸せを感じるはずです。

自分の幸せというのは、人を幸せにした後にやってくるのです。自分が幸せを得るためには人を幸せにする。遠回りなように思えるかもしれませんが、実はこれが一番の近道なのです。