神の花園に咲く子どもたち
子どもたちというのは花の種です。
えてして親や大人がやりがちなのは、ヒマワリの種である子どもにチューリップになりなさいということです。
そう言われたヒマワリの子は、自分が自分自身であることを否定され、根腐れを起こして枯れてしまいます。
それぞれの子どもが持っている個性は、神から与えられたものであり、全く同じ個性を持つ子どもはいません。
親や大人の役割というのは、子どもの個性に合わせて水をやることです。
自分の願望や夢を子どもに押し付けることは決して教育とは言いません。
自らの自己実現のために子どもを利用しようとするならば、いずれ子どもからは反旗を翻され、原因結果の法則通り、自分が子どもに与えた苦しみが自分に返ってくることになるものです。
そうではなくて、その子の個性と可能性を信じて温かく見守り、その子の良さを引き出していくことです。
そのとき一人ひとりの子どもに埋め込まれた多種多様な個性が花開いていき、この世界は神の花園として彩られ、より美しいものとなっていくのです。