Q&A|悪人は元から悪人として生まれたのか

Q&A

質問:世界は善悪に満ちているように思います。善なる人たちもいる一方で、悪と言われるような人たちも確かに存在し、憎しみや嫌悪、悪意や敵意を撒き散らしている人たちが絶えません。そういう人たちは元から悪人として生まれたとしか思えないのですが、どうでしょうか。

回答:日々起こっている悲惨な事件やニュースを目の当たりにしていると、確かにそう思われるのも無理もないことかもしれません。

「性善説」と「性悪説」というものがありますが、人間が元々生まれつき善なる性質を備えているのか、それとも悪なる性質を備えているのか。

それは結論から申し上げれば、人間というのは根源的に善なる存在そのものなのです。

どんなに悪人と思えるような人であったとしても、悪人として生まれているわけではなく、その本質は善なる存在として神より創られています。

悪なる存在として創られている人など一人もおりません。

ではなぜ、そもそも善なる存在が悪なるものになってしまうのか。

それは自分自身が本質的にどのような存在として生み出され、どのような生き方をしたらよいのかを見失っているからです。

私たちは最高度に善なる存在である神の一部として、神の子として命を分け与えられています。

そして、ただ単に生きるのではなく、善く生きることによって自分も他人も幸せにすることができて、心からの喜びを感じて生きていくことができます。

そこを見失っているからこそ、道を誤り、自分も他人も不幸にしていくような人生を歩むことになるのです。

善なる道を歩むのも、悪なる道を歩むのも、すべては一人ひとりの自由意志に任され、それを強制されるようなことはありません。

それぞれがどのような道を歩むこともできるのです。

それは神より私たちに自由意志が与えられているからです。

その中で、自らが選び取った道の結果は自らが受け取らなければなりません。

それは原因結果の法則とも言われますけれども、大宇宙を貫いている神の摂理であります。

どんなに悪なる道を歩んでいるような人であったとしても、その内側には神の子としての神性が眠っており、ただ神の子としての光が曇ってしまっているだけなのです。

それを光り輝かせることを忘れてしまっているだけなのであって、そのことに気づいて過ちは反省し、思いと行いを改めていくことで、いつからでも善なる光の道を再び歩き始めることができるのです。

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