自らの心を押し殺してきた人生
生きている中で、多かれ少なかれ私たちは「これをしてはいけない」、「それはやめたほうがいい」と言われ続けてきたのではないでしょうか。
誰かの意見に自分を合わせることが当たり前となってしまい、窮屈に生きてきたと思います。
自らの心の中から湧き出してくる思いを押し殺してきたのかもしれません。
いつからそのようになってしまったのでしょう?
本来、この宇宙の中で、やってはいけないということは一つもありません。
あるのはただ、自分のやったことは自分で責任を取りましょうということだけであります。
どんなに悪いことに思えることでも、絶対に許されないことは一つもありません。
何を思うのも、何をするのも、完全に一人ひとりの自由意志に任されているのであって、それは神から私たちに与えられているギフトであります。
それをどのように使うかは、すべて神の子たちに任せられているのです。
神が神の子を罰するようなことは決してありません。
自分のやったことは自分で責任を取る
幼い子どもを導くために、守るために、教育のために、これまで一つの望ましい道や規範が指導者の方々によって示されてきたということはあるかもしれません。
でも、それも本当は一言伝えれば済むことであります。
「自分のやったことは自分で責任を取るんだよ。そこから逃げることはできないんだよ」と。
それさえ本当に分かっていれば、むやみやたらに悪を犯すようなこともないのです。
自分たちが本来どのような存在であるのかに気づいたとき、もっと自由になっていくことができます。
私たちは愛を表現するために存在していて、それ以外に存在の意味はありません。
なぜなら、私たちの本質は愛のエネルギーそのものだからです。
その愛のエネルギーを解放していくときに人は最も輝き、光を放っていきます。
自分自身を素直に表現する勇気を
自分が感じていることを素直に表現することは怖いと思う人もいるかもしれません。
変な人だと思われたくないという気持ちも分かります。
おかしなことを言って馬鹿な奴だという烙印を押されたくないという気持ちも分かります。
でも、変な人だとか、馬鹿な奴だと思われてもいいじゃないですか。
人にどう思われたとしても素直に自分を表現したとき、あなたの光が炸裂するのであって、その光に勇気をもらい、他の人々も自分らしさを取り戻していくことができるのです。
自分ではなかなかできないことを他の人がやっている姿を見て、立ち上がっていく人たちが出てくるのです。
だからこそ、魂を解放する勇気を。
その一歩を踏み出す勇気を。
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