二十年前の私へ
もう二十年近く前ですが、大学生になってから人間の本質や根源的な真実とでも言いますか、そのようなものを求め始めるようになりました。
その時期に自分はこれからどういう人生を歩み、どんなふうに生きていけばいいんだろうとよく考えるようになって、そもそも人間というのは何なんだろうという疑問を持つようになっていました。
人間とは何かという疑問は本質的かつ根源的な問いだと思うのです。
それは、自分も含めて人間自身の存在そのものに深く関係している問いであり、つまるところ、それが分からなくて人は悩んでいると言っても過言ではないと言えるのではないでしょうか。
結局のところ、ずばり人間とは何なのか。そして、人間はどのように生きるべきなのか。
その答えを提示してきたのが宗教であり、宗教に限らずとも、心の教え、神の教えと呼ばれるものです。
仏教もしかり、キリスト教もしかり、イスラム教も、儒教や神道であっても、それぞれに現れ方の違いはあったとしても、人間の本質を教えていることに違いはありません。
どの道を通っていったとしても、最後に行き着くところはすべて同じところであり、そこに辿り着くために色々な道が用意されているということに過ぎません。
その行き着く先というのは神であり、どの道から上がっていっても、山の頂上が一つであるように、最後は一つの神に辿り着きます。それはこの宇宙を創られた根源神であり、すべてはその根源神より生み出され、育まれ、愛されている神の子たちです。
私たちがもし神を知らなかったとしたら、それは本当の意味では自分自身を知らなかったということと同じです。
なぜなら、私たちは神により生み出されてきた神の子であり、神の一部として存在しているからです。
神と関係がない人は一人もおらず、神とつながりがないという人も一人もおりません。すべての人が神により愛されており、その人でしか果たせない役割を一人ひとりに与えられているのです。
人間とは何なんだろうという疑問を持っていた二十年前の自分に対して今、答えるのであれば、それは神の子であると。人間というのは神の子であると。神とはこの宇宙を創られた愛のエネルギーであり、その愛のエネルギーのひとひら、ひとひらが自分たちであると。神の分け御霊とも言われるけれども、この宇宙のすべての存在が神の愛のエネルギーの一部として永遠の命を持って生きていると。
それが最も本質的なことであり、根源的な答えだよと答えたいと思います。
ただ、そう答えたとしても、当時の自分はきっとすぐに受け入れることはないだろうし、すぐにはピンと来ないだろうし、ほとんど理解できないと思います(笑)。
認識を上げていくには、やはりそれなりの時間や年数がかかるんだろうなぁと我ながら思うものです。
そして、そのように答えている今の自分であったとしても、まだまだ途上なのであって、神に向かっていく永遠の旅に終わりはありません。