死後、地獄に落ちないために心がけるべき三つのこととは?

愛の実践

地獄に落ちないようにするためには

死後、地獄に堕ちないようにするためにはどうすればよいのでしょうか。

それは一言で言えば、「神の心を我が心として生きる」ことです。

神の心とは、愛の心です。

愛の心を持って生きていれば、地獄に行くようなことはありません。

では、愛の心を持って生きるためには、どのようなことを心がければよいのでしょうか。それには三つのことがあると思います。

常に自分を磨くこと

まず一つ目は、「常に自分を磨く」ことです。これは別の言葉で言えば、たゆまぬ努力であり、向上を目指して自己研鑽し続けることです。

ともすれば、私たちは易きに流れがちです。「ここまででいいや」と思うのが人間心というものです。しかし、そうではなく、「自分はまだまだ未熟である」という謙虚な思いで努力精進をし続けることが大切です。

地獄にいる人たちというのは、楽なほうを選びがちであり、地道な努力というものを嫌う傾向にあります。ですから、一歩一歩、今日よりは明日、明日よりは明後日という気持ちで自らを高めていく向上の意欲を持つことです。

他人の幸せを自分の幸せとすること

愛の心を持って生きるための二つ目は、「他人の幸せを自分の幸せとする」ことです。常に他の人々の幸せを頭に置いて生きることです。一言で言うならば、「利他の心」です。

そのためには具体的な行いが必要となります。たとえば、簡単なことで言えば、人に優しくすること。他人への思いやりを持って接すること。苦しみや喜びを分かち合うこと。相手のミスを責め立てるのではなく、互いに赦し合うこと。

これらは言うのは簡単なのですが、実際にやってみるとなると案外難しいこともあります。愛とは行いであり、実践です。あの世では「思い即行い」でありますが、この世では思っているだけではダメなのです。実際に行動に移す。思いを表現として表す。それがあって初めて、愛の実践となるのです。

地獄にいる人たちで他の人の幸福のために生きている人は一人もいません。他人なんかどうなってもよくて、とにかく自分さえ良ければいいんだというエゴの思いで生きております。常に誰かに害されるのではないかという恐怖の中で生きているので、心が安らぐことがないのです。

執着しないこと

そして、最後の三つ目ですが、それは「執着しない」ということです。別の言い方で言うならば、小川のようにサラサラとした気持ちで生きるということです。

たとえば、何か人から嫌なことを言われて傷ついたり、腹が立ったときに、そのことをいつまでも覚えて苦しんでいるようではいけません。何日も何日もそのことが頭から離れず、その人と会うたびに不快な気持ちになる。それがまさに執着しているという状態です。一時、心がざわついたとしても、サラサラと水に流していく。心をそのことだけに留めおかない。

そのような引っかかりのない明るく丸い心で生きていれば、地獄に行くようなことはまずありません。

地獄というのは、ある意味で非常にネチネチした粘着質の世界とも言えるのです。一つのことにこだわり、とらわれ過ぎて、視野が狭い中でこれが絶対だと思い込んで生きているような感じです。

そうではなくて、物事に執着せず、流れていく小川の水のような気持ちで清らかに生きることです。

愛の心で生きる

地獄に堕ちないための愛の心とその生き方について三つのことをお話いたしました。

まとめますと、「常に自分を磨くこと」、「他人の幸せを自分の幸せとすること」、そして「執着しないこと」です。

そのように生きていれば、死後、地獄に落ちるようなことはありませんし、自らの発する光も増えていきます。そして、幸福感も増してくるはずです。ぜひ実践してみてください。