神との出会い
「神との出会い」について聞かれることがあるので、今回は私がそれについてどのように考えているのかをお話してみたいと思います。
神との出会いなどと言うと、まず「胡散臭いな」という印象を持つ人が日本では特に多いと思うんですね。
怪しい霊能者みたいな、そんなふうに思う人もいるかもしれませんし、そういう話をし始めると「こいつには絶対に騙されないぞ」という、非常にある意味で聞く側が心を閉ざした状態になりがちな、眉唾な話として受け取られがちな話でもあると思います。
神との出会いは一人ひとりが感じ取っていくもの
私は、神との出会いというのは非常に個人的なものであり、一人ひとりがそれぞれ出会い、感じ取っていくものだと思っているんです。
それは強制するようなものでもないですし、みんなで同じように、同じやり方で感じましょうとかいうものでもありません。
「神なんか存在しない」と思うのはそれぞれの自由だと思うのですけれども、やはりこの地球だけではなくて、太陽系があり、他にもたくさんの星々がある中で、この大宇宙が存在しているという厳然たる事実を前にしたときに、それらが自然発生的に偶然に生まれてきて、勝手に存在しているとはどうしても思えないんですね。
もし勝手に存在しているのであれば、たとえば、どうしてあの夜空に輝いている星々は互いにぶつかってしまうようなこともなく、調和をしているのでしょうか。
それは太陽系であってもそうですし、この大宇宙には太陽系と同じようなものが数え切れないほど無数に存在していると言われていることから考えても、そこには何らかの意志が働いていて、私たち人間はもちろん、星々をも超えて、宇宙全体を存在せしめている存在がいるだろうし、そう考えるほうが理にかなっているのではないか。
そう思っています。
大宇宙を創り、生かし、育んでいる存在
「存在している」ということは、それを創り出した人がいるということですよね。
例えば、私たちが住んでいる家にしても、最初は何もなかったところに様々な材料を組み立てて、一戸建てだったり、マンションだったりを創り出して、生み出されるわけです。
そして、それは創りっぱなしということではなく、それを維持するためにメンテナンスをしたり、必要な手を加えたりしながら、やはり誰かがケアをしている。
そうであれば、規模は全然違いますけれども、この大宇宙が存在しているということは、やはりそれを創り、生み出した存在がいて、宇宙中のものを生かし、あらゆるものの命を育んでいるような、私たち人間を超えた圧倒的に偉大な存在がいるはずではないか。
それが神であると私なんかは思うのです。
もし宇宙大まで自分の意識を広げることができるのであれば、宇宙の神の意識そのものを感じ取れるのでしょうけれども、普通はなかなかそんなことはできません。
ところが、ブッダやイエス・キリストのように、実際に自分の意識が宇宙大にまで広がるという、そのような体験をした人もいますし、また他にもこの大宇宙はまさに人間のような形をしていると言う人もいたりするわけです。
神は自らのお姿に似せて人間を創られたとも言われますよね。
大宇宙に満ちている愛
いずれにしても、やはり私たちをはるかに超えた存在として、宇宙全体を隅から隅まで、その内側から存在せしめ、あらゆる命を育んでいる根源的なエネルギーが流れていて、それによって宇宙は成り立っていると思えます。
家族や子どもがいる人であればよく分かるかもしれませんけれども、生かし育むというのはまさに愛そのものですよね。
私たちであれば自分の家族くらいがその抱えている範囲ですけれども、この大宇宙全体という範囲を考えてみれば、その愛というものがいかに圧倒的であり、スケールの大きなものであるか。
そして、私たちがいかに、小さなものであるか。
そのようなことを思います。
感謝をもって宇宙の神に呼びかければ、愛のバイブレーションが流れ込む
私は、神との出会いは個人的なものであり、一人ひとりがそれぞれ出会い、感じ取っていくものだと思っていると申しました。
では、私がどのように神の存在を感じ取っているのかと言うと、心の中で宇宙の神に呼びかけているんですね。
「神様、いつも私たちを生かし、育んでいただきありがとうございます」と。
今、自分自身が存在していることの感謝を神への呼びかけとしてお伝えする。
すると、愛のバイブレーション、愛のエネルギーが波のように自分の心に流れ込んでくるのです。
それは、電流というと少しニュアンスが違うかもしれませんけれども、霊流とでも言いましょうか、そのようなものがサァーと細かな光のように流れ込んでくるのを感じます。
それは別に特別なことではなくて、おそらく誰にでも感じ取れるものであり、宇宙の神の愛に同調すると、自然と流れ込んでくるものなんだと思います。
それは波長同調の法則の通りであり、自らの意識を宇宙に溶け込ませるように広げて、神の愛に心の波長を合わせていけば、その愛のエネルギーに通じて自らに流れ込んでくるものなんだと思います。
神への呼びかけに対してレスポンスのように愛のバイブレーションが流れてきます。
それは宇宙への距離などは関係なく、神への感謝をもって心を開けば一瞬にして流れ込み、感じられるものであります。
宇宙の神とのつながり
神との出会いというのは、私にとっては神とのつながりを感じ取ることと同義と言ってもいいかもしれません。
大宇宙を生かし、育んでいる愛のエネルギーというもの。
それは見るものではなく、聞くものでもなく、触るものでもなく、感じ取るものです。
それは宇宙の愛に同調すれば、自然と流れ込んでくるものなんだと言えます。
そのようにして私は神の思いを感じ取り、神の存在を感じ取っています。