人間は死んでしまったらそれまでの努力が水の泡になる、ということはなくて、今回の人生で努力したことが今回の人生で報われなくても、来世以降で必ずその努力に応じた結果が自分に返ってきます。
「どうせ報われるか報われないかも分からないし、死んだらすべて終わりなんだから努力する意味なんかない」と考えている人がいれば、そんなことはありません。
それがたとえ今世でなくても、この宇宙を貫く原因結果の法則の中で必ず結果というものは返ってきます。
種をまかなければ花が咲かないように、原因をつくらなければ結果は現れません。
それは肉体が死んでチャラになるようなものではなくて、永遠の命を与えられている霊的な存在の私たちにとっては、原因と結果の連鎖による過去世からの積み重ねの人生というものがあるのです。
その積み重ねが今の人生を形作り、そしてまた来世以降の未来の人生をも形作っていきます。
「あのときの過去の人生の努力が今ここで役立った」ということもあるでしょうし、「種をまいたことなどすっかり忘れていたけど、忘れた頃に花が咲いた」ということもあるかもしれません。
そのような永遠の時間の流れの中の「今」という視点を持つとき、人は今世において花を咲かせなきゃいけないというような焦る気持ちではなく、長い目で、ゆったりした気持ちで、自らの人生に向き合えるようになります。
この三次元の世界に生きている限り、ままならないこともたくさんありますし、様々な原因が絡み合って、思うような結果が現れないこともあるかもしれません。
もし一生懸命に努力したのであれば、あとはその結果は天にお任せするという、そういう気持ちを持つことも大切かもしれません。
結果に執着してこだわりすぎるのではなく、余裕を持ってさらさらと流していく。
川でも流れが止まっているところは淀んでしまうように、執着すれば魂が淀むものです。
そのような魂の淀みを作らないためにも、やれるだけの努力をしたならば、あとはさばさばした気持ちで結果を求めないで生きることが大事ではないでしょうか。