人生の中で、つらいことや苦しいことがあったとき、「どうして自分にはこんなことが起こるのだろう」と投げやりな気分になることがあります。
周りを見れば、誰もが幸せそうに見えてくる。
実際には、それぞれの人がそれぞれの悩みを抱えながら生きているにもかかわらず、自らが苦しみのうちにいるときには自分以外の人たちに思いをはせる余裕もなく、ますます苦しみを募らせていくのです。
苦しみや悩みを通り越した後、振り返ってみると、それらが懐かしい記憶として自分の魂を鍛えるために必要な試練だったことに気づきます。
その意味で、悩みというのは一つの気づきを得るためのきっかけとして私たちに与えられているとも言えます。
人生というのは一冊の問題集なのです。
悩みや苦しみが一つの問いとして立ち現れてきたときに、それに対してどんな解を導き出すか。
それは自分自身に任されているのです。
ヘレンケラーという人は、見えない、聞こえない、話せないという三重苦の中を生き抜きました。
そのような生きにくさの中で、どのように神の子として光り輝くことができるか。
それを身を持って体現されました。
それがヘレンケラーにとっての一冊の問題集でもありました。
絶望の中で人々を恨み、神をも恨み、「どうして自分だけがこんな目にあうのか」と失意の中で死んでいくこともできたでしょう。
しかし、ヘレンケラーはそうはしませんでした。
どんなにつらい状況の中でも、暗闇の中から光を発して前向きに生きる姿を示し、その姿によって多くの人々が勇気をもらい、救われていったのです。
この世界で同じ問題集を与えられている人は一人もいません。
それぞれが自らの問題集を独力で解いていかなければなりません。
問題集であるということは、模範解答があるということです。
その模範解答は死んであの世に帰れば分かります。
本当は、人生の悩みや苦しみに対してどのような解を出せば合格点がもらえるのか自分で知っているのです。
しかし、この世に生まれてくるときに、私たちはそれを忘れて生まれてきます。
覚えていたらカンニングになるからです。
自分の力でそれを解くから、魂が成長し、喜びにもなるのです。
模範解答をそのまま書き写しただけであれば、達成感もなく、本当の力にもならず、この世に生まれてくる意味がありません。
自分で道を切り開いていくということが原点です。
必ずそれは切り開いていけるのです。
「その経験を経たおかげで、自分はより大きくなれた」、「どうしてこんな嫌ことばかり起きるのだろうと思っていたけど、無駄なことは何一つなかった」と思えるときが必ず来ます。
それを知れば、あらゆる出来事が自分に必要なことであったと、すべてを良きものとして受け入れていくことができるようになります。
そして、悩みや苦しみに対して、自らの答えを出していくとき、自分の力だけではなく、目には見えない存在たちが応援してくれています。
守護霊をはじめ、インスピレーションという形で導いてくれたり、あなたを助けてくれる人と出会えるように、見えない世界で頑張って調整してくれることもあります。
そのような存在たちへの感謝というものがとても大切です。「ありがとうございます」という思いを送るだけでも、気を良くしてますます助けてくれるようになります。
まずは自分自身で人生の問題集を解くことです。
その上で、自分の努力に応じて、目に見えない存在も含めて、助けてくれる方々がいます。
それを信じることです。