普通は見返りを求めることなく他人の幸せのために生きると、自分だけが損することになると思いますよね。
「自己犠牲」という言葉もあります。
自らを犠牲にしてまで他者を利することは理解できないという人も中にはいるかもしれませんが、それは自分が不幸にならないと他人を幸福にできないということではありません。
自分さえ我慢していれば、相手を幸せにできるということでもありません。
幸せというのは、みんなで幸せになれるものです。
自分も幸せであり、他人も幸せであるという状態が本来の姿なのです。
もしそうでないならば、そこには何か歪みがあるということです。
自己犠牲というものも表面的にだけ捉えていると、周りから見たら不幸そのものに見えることもあるかもしれませんが、本人にとってはそれが心からの願いや望みであり、そうすることが幸せだということもあります。
自分のことは構わず、その命でさえも他の人のために捧げるという思いや姿は人々の心を打ち、感動させるものですよね。
そもそも私たちはどのようなときに心からの幸せを感じるのでしょうか。
それは自分ではない誰かの役に立てたときです。
誰かの幸せに貢献できたときです。
心の中では誰もがそれを知っているのにも関わらず、誰かが自分のことを幸せにしてくれる、幸せは外からやってくるという誤った思い込みをしている人も多いのではないでしょうか。
幸せというのはそういうものではないということです。
自分の言葉や行いによって誰かに感謝されて「ありがとう」と言われるとき、たとえそれが小さなことであったとしても、あなたの心にも温かいものが流れ、満たされ、幸せを感じられるのではないでしょうか。
幸せというのはそのようにして自らの思いや行いによって感謝を受けたときに生まれてくるものです。
誰かからの親切や思いやり、気づかいなどを自分が受けてばかりいるだけでは、心からの幸せは感じられないのです。
受けたものを今度は誰かのために役立てていく。
その誰かを幸せにするための思いや行いが愛というものです。
その愛を成すことで感謝を受けるという、愛と感謝の循環によって私たちは幸せになれるのです。
そして、愛を成すときに最も大切なことは見返りを求めないことなのです。
見返りを求めることは愛ではなく打算です。
愛を成したときにその相手から何も返ってこないかもしれません。
それでもいいのです。
その相手から何も返ってこなくても、必ず巡り巡ってどこかから愛が返ってきます。
自ら与えた愛が必ずどこかから返ってきます。
それがこの宇宙の法則であり、愛の摂理であり「与えれば与えられる」という言葉の意味でもあります。
▼音声配信はこちら