「幸福感」と「満足感」は違う
人間の幸福感とはどのような時に得られるのでしょうか。
それは例えば、空腹時に美味しいものをたくさん食べたときでしょうか。
それもそうかもしれません。
または魅力的な相手と甘い時間を過ごしたときでしょうか。
それもそうかもしれません。
そのように欲求を満たすことで一時の「満足感」は得られるかもしれませんけれども、それが本当の意味での「幸福感」かと言うと、そうは言えないのではないかと私は思っています。
満足感というのは一時的に得られても、またしばらくすれば満たされない思いが生まれてくるという、いたちごっこのようなところがありますよね。
一度感じた幸福感が次の幸福感を生み出す原動力になる
では、本当の意味での幸福感とは何なのかと考えたとき、それは自分が誰かの役に立つことで感じられるものなのではないか。
私はそのように思うのです。
「そんなことで幸福感を得られるの?」と疑問に思う人もいるかもしれません。
しかしながら、人間というのは自分ではない誰かの幸せのために行動し、誰かの役に立てたときに心の中に幸せが湧いてくるようにつくられているのです。
その幸福感というのは一度感じるとずっと残っていて、なくならないんですね。
そのときのことを思い返せば、「ああ、あのとき自分はあの人から感謝されて、あの人の幸せの役に立てた。良かったな」と何度でも感じられるものです。
そして、そのときの幸福感をもってまた別の人の幸せにも役立てるように頑張ってみようかなと思えてくる。
世の中、自分の幸せのために、自分を利することに躍起になって生きている人も多いので、私は繰り返し繰り返し言っているんですけれども、他人の幸せのために生きる、他人に感謝されて生きるというのは偽善でもキレイゴトでもなく、とてもシンプルで単純な真実なのです。
それは些細なことでも構わなくて、電車で誰かに席を譲ることでも、道に迷っている人に道案内をしてあげることでも、経済的に困っている誰かに寄付をすることでもいいのです。
そして、その相手から「ありがとう」と言われたのであれば、役に立てたという実感とともにそのときに温かいものが自らの心に湧いてきて、「ああ、良かったな」と感じられます。
人は感謝されることで自分の存在価値を感じられる
人によってできることも、したいことも違うかもしれませんが、どんなことでもよくて、まず誰かの幸せのために自分にできることをやってみる。
そして、相手から感謝され、役立てたという実感をもって幸福感が生まれる。
そして、それだけではなくて、それによって人は自分の存在価値も感じられるようになるのです。
世の中には自分には何の存在価値もないと思い込んでいる人もいますけれども、そのように思い込んでいる理由は自分のためだけに生きているからです。
そういう人は人生が自己完結しているのです。
自己完結した人生では人間は本当には幸せにはなれません。
自分なりに誰かの役に立てたとき、相手からも感謝されて、「ありがとう」と言われて、そのときに初めて自分という存在にも意味があるんだと思えるのではないでしょうか。
「こんな自分であっても他の人を幸せにできる力があったんだ」と初めてそのときに気づくのです。
人は一人では生きられない
人間は一人では生きられないとよく言いますよね。
人との関わり合いの中で、ときには傷つくこともあると思いますし、嫌な思いをすることもあると思います。
それでも、傷つきながらでも、傷つくことを恐れずに誰かの幸せのために生きてみること。
その一歩を踏み出してみること。
それが本当に大切なことだと思います。
幸福感は自分という一人の存在だけしかこの世界にいなかったら感じられないのです。
そうであるならば、他の人たちが存在してくれていること自体に対する感謝も湧いてくるのではないでしょうか。
人は自分のためだけに生きて幸せを感じるようにはつくられていない
私たちは自分のためだけに生きて幸せを感じるようには本来つくられておりません。
そのように自分のためだけに生きてもやがては心が虚しくなり、必ず道を見失っていくという結果になります。
そうではなくて、生き方を180度転換してみる。
自分の利益のためではなく利他の思いで生きることで、その結果、感謝をされて、幸福感が心に湧き、自らの存在価値も感じられるようになるのです。