日本神道、秩序と礼節の教え

宗教

日本神道の教え

私たちが住んでいるこの日本は、天照大神を中心とした日本神道の神々によって導かれ、古来よりその教えの中で人々は育まれてきました。

キリスト教が「愛」を、ユダヤ教が「正義」を、仏教が「法」をそれぞれ説いてきたように、日本神道の教えは「秩序」であります。

秩序は人を支配する力や組織のことではありません。強大な力を持った人や組織、国が力の弱いものたちに、ある意味強制的に言うことを聞かせるようなものではなくて、神の世界における秩序のことです。

それは人間が勝手に作り出したものではなく、神によってつくられたこの世界を貫いている本来の秩序であり、神への信仰心、謙虚さの中で、人々を生かそうとする愛の思いの中で自然と形作られてくるものです。

神の世界における本来の尊い価値

神の世界における本来の価値とは、家柄や会社の規模、財産によって決まるものではありません。知識の多さや仕事の有能さで決まるものでもありません。

そうではなく、神のお心や神のお考えを人々に伝えること、神のお心を体現することが本来の尊い価値なのです。

神の世界における秩序とは、そのような価値観に基づいて神近き人が指導者として人々を指導し、そのような人が徳ある人として尊敬を受けるような世界であり、人の年齢や会社での地位の上下によってつくられるものではないのです。

神の光の紫光線の役割

神の光は大きく七色の分光として分かれ、それぞれの色に個性と役割が与えられています。日本神道はその中で紫色です。紫色は秩序と礼節を表す光線です。

神に対する信仰心、神を敬う気持ちを土台にした秩序を大切にしているのが紫光線です。そして、神の秩序を保つための行動基準が礼節というものです。

それは礼儀や節度という言葉にも見られるように、神近き優れた人々へ敬意を表し、分をわきまえる、出過ぎたことをしないということです。そのようなことを重んじているのが紫色光線です。

神を信じ、神に感謝し、神と共に生きる

神への信仰と言うと、現代の日本では一笑に付されることもあるかもしれませんけれども、神を信じて神と共に生きることは私たち神の子にとっては至極当たり前のことであり、最も大切なことです。

それはこの世だけではなくて、あの世においても人々は神への信仰を日々持ちながら生きているのであり、基本的なことなのです。神へ感謝をして生きるということは本当に基本的で当たり前のことなのです。

この地上ではそのような土台が崩れているからこそ人々は道に迷い、苦しみ、社会には歪みが生まれているのです。神の子にとって本来当たり前のことが当たり前でない世界になっているのが今の世の中であり、最も根本的なことが抜け落ちてしまっているのです。

古来、日本の人々は大自然の中で、その一部として感謝をもって生きていた姿があると思います。大自然は神のお心の現れであり、その中で今のように生活の中に物が溢れていたわけではなくとも、シンプルで質素な生活の中で感謝をしながら幸せに暮らしていました。

だからと言ってそのような時代に戻ったほうがいいと言っているのではなく、所有物やお金などに振り回されずとも、神を信じ、神に感謝し、神と共に生きることで、十分に神の子は幸せなのです。それ以上のものなど必要ないのです。

日本神道の神々の思い

神の子としての信仰心と感謝。シンプルで簡素な生活の中でも、十分に喜びや幸せを感じ、謙虚に互いに生かし合いながら生きられるということ。

そして、神の世界における秩序をもとに、神近き人が神のお心を伝えて国を指導し、その神のお心に沿った社会を地上に表し、仕組みや制度を作っていくこと。

そのような思いでこの日本を指導されているのが日本神道の神々なのです。