私たちがあくせくして求めてきたもの
私たちは幸せになるために、これまでお金や地位、名誉を手に入れようとしてきたかもしれません。
そのためにあくせくしてきたこともあると思います。
しかし、そのようなものを手に入れることで、私たちは本当に幸せになるのでしょうか。魂の喜びを感じることができるのでしょうか。
実はそうではなかったのだと思うのです。
そのようなものが手に入れば幸せになると錯覚しているだけであります。本当はそれらを手に入れても幸せではないのです。
自分で経験しないとそんなことは分からないという人もいるかもしれません。
しかし、そういうものを手に入れた人たちを見ていただければ分かるのではないでしょうか。
もちろん、すべての人がそうとは言いませんけれども、多くの方において、心というものが常に荒立ち、欲望に振り回されているのです。
本当の幸せとは他の神の子の役に立てる自分であること
幸せとはそういうものではありません。
本当の幸せとは、神の子としての心に正直に生きて、人の役に立てる自分であることです。
愛する人たちのために貢献することです。
その人の幸せのために、見返りを求めず自分にできることをすることです。
それが神が私たちに埋め込まれた愛の原理であります。愛とは絶対奉仕なのです。
あなたが生きていることが愛されている証
人は互いに愛し合い、愛されているときに幸せを感じるものです。
しかし、私たちはすでにもう愛されているのです。家族にも、仲間にも、そして、神にも。
生きているということは愛されている証であります。命を与えられているということは、愛に包まれていることとイコールなのです。
それに気づかず、愛が与えられていないと文句を言って生きてきた私たちであるかもしれません。
でも、本当はそうではないのです。すでに愛されていたことに気づかず、見落としてきただけなのです。
私たちが気づく気づかないにかかわらず、愛は与えられております。その愛を感じ取ること。
愛を実感し、幸せを実感するのに、多くのものはいらないのです。