「自分にはこだわりがある」と言う人がいます。
こだわりというのは、執着のことです。
執着とは、掴んでしまって離すことができないものです。
私たちは本質的に、愛を循環させていく通路のような存在です。
執着があると、愛は流れていきません。
執着とは、その通路の途中で流れを妨げている石のようなものですから、そこで愛が止まってしまうのです。
愛は自分のもとに留めておくものではありません。
他人から受けた愛というものがあるならば、感謝をしながら今度はそれを別の人に送り出していくのです。
なぜなら、愛はもともとこの大宇宙を循環しているものだからです。
自分が受けた愛に対して、見返りを求めることなく、無心に別の誰かに送り出していく。
そこに自らを利したいという思い(=エゴ)があれば、そのときには愛は死んでしまいます。
なぜなら、愛の循環とは無私なる思いによって行われているからです。
言いかえれば、利他の心によって愛というものは循環しているのです。
こだわりや執着というのは、利他の思いとは正反対のものですから、それがあるとそこで愛が止まってしまいます。
自らが愛の通路となり、愛の循環を実感するとき、人は本当の幸せを感じられるのです。