道なき道を切り開いていく強い心
人間が人生という道なき道を切り開いていくために欠かせないものは何でしょうか。
それが「勇気」です。
勇気なき人に成功はありません。
勇気なき人に事業は成せません。
勇気なき人に助力は得られません。
どんな困難や壁をも乗り越えていけるという強い心が勇気というものです。
この勇気は一体どこから湧いてくるのでしょうか。
勇気のある人とない人がいるのはなぜなのでしょうか。
どうすれば私たちは勇気を持って力強く生きていけるのでしょうか。
今回はそのようなことについて考えてみたいと思います。
勇気はどこから生まれるのか
勇気がどこから湧いてくるかと言うと、それは自らを信じ切ることからではないでしょうか。
自分(たち)なら必ずできると信じ抜いている。
誰が何と言おうと成功すると信じて疑わない。
その自己信頼が確かな土台となり、勇気が立ち上がってくる。
そのように思うわけであります。
疑念や不安が入り込む隙間もないほどに絶対的な確信で心が満たされている状態。
勇気というものはそこから生まれてきます。
神の力と自己信頼が勇気を生む
では、なぜそのように自分自身を信じ切れるのか。
それは私たちが神の子であり、神の一部であるからです。
この大宇宙を創造された神と同じエネルギーを分け与えられているのが私たちという存在であります。
自分を信じ切るというのは神の力を信じ切るということです。
私たちには一人ひとりに対する信頼をもって神から預けられている力があります。
そうであるならば、できないことなどありましょうか。
どんな困難や苦しみがやってこようとも、それに負けずに目指している場所に向かって歩み続けていくんだという強い意志。
勇気というのはそこに宿るものであります。
恐怖や不安を乗り越える勇気
心の中が恐怖や不安でいっぱいのとき、人が恐れているものは何でしょうか。
「失敗してしまうかもしれない」
「恥ずかしい思いをするかもしれない」
「仲間外れにされるかもしれない」
「もうこれまでと同じようには生きていけないかもしれない」
そのような思いで心の中がいっぱいになっているのではないでしょうか。
しかし、「もしそうなったとしても構わない」と思い切る気持ち。
それが勇気です。
「自分がどうなろうとも構わない」という、自分を守らない気持ちですね。
失敗したっていい。
またゼロからやり直せば。
恥をかいたっていい。
他人にどう思われようとも構わない。
仲間外れにされたっていい。
また新たな仲間を作れば。
究極、もし殺されるようなことがあっても、この肉体の命などいくらでも差し出して、肉体に執着することなく、軽々とあの世に帰っていけば良いのです。
魂は死ぬことがないのですから。
「何があっても怖くない」
そのような境地になれば、どんな不安があろうとも、自分の命の危険があろうとも、それに負けることなく強い意志でどんな困難をも打ち払って前に進んでいけます。
そのような姿に現れているのが勇気であります。
小さな一歩から勇気は生まれる
一歩を踏み出すのが難しいという人もいると思います。
そのときは、半歩ならどうか。
半歩が難しければ、そのさらにまた半歩ならどうか。
まずは、ほんのわずかでもいいからを足を踏み出してみる。
動き出してみるということ。
それは大きな勇気がなくともできると思うのです。
一番悪いのは「傷つきたくないから」と言って、いつまでも足を踏み出さないでいることです。
多くの人が「鬼滅の刃」の竈門炭治郎に勇気をもらうのはなぜでしょうか。
それはどれだけ傷ついても、打ちのめされても、炭治郎はまた立ち上がって前に進み続けるからです。
その姿に私たちは勇気をもらうのではないでしょうか。
傷つかない人間などいません。
傷ついても、傷ついても、それを糧にして勇気を持って前に進み続ける。
まとめ:恐怖を超えて一歩を踏み出す勇気を
勇気は特別な才能ではなく、誰もが持てる力です。
自分を信じ切る自己信頼、神の力に委ねる覚悟、恐怖や不安に負けず動き出す行動力。
これらが揃ったとき、私たちはどんな困難にも立ち向かえる勇気を持つことができます。
まずは小さな一歩から。怖くても、失敗しても構わない。動き出すことで、道は必ず開かれていきます。