霊的な進化を果たすために
私たちは誰もが霊的な存在なので、進化というのは歴史的に、肉体的な物差しで人間がどう進化してきたかということではなくて、霊的にどのように進化してきたかという視点のほうが本来の視点であり、よほど大切なことです。
地上における物質的な肉体というのは、それこそ文明によって変わるものです。
人によっては信じがたいことかもしれませんけれども、人間に尻尾がついていたときもありましたし、男性の額に第三の目があったときもありましたし、その文明の色合いにより私たち人類に与えられる学びのテーマは異なり、その学びのために適切な肉体が与えられます。
どのような肉体に宿ったとしても、それは魂の霊的な進化を促すために役立てるものであり、私たちは霊的な進化を果たすために何度もこの世に生まれ変わってきては様々な人生経験を積んで、永遠の時を生きている存在です。
愛の軸に沿ってのみ伸びていく進化
その進化の方向性は、むやみやたらに努力すればいいというものではなくて、愛の軸に沿ってのみ伸びていくものなのです。
つまり、私たちの進化の方向性は「愛」という一語に尽きるものであり、その愛の軸に沿ってのみ、進化の方向、進化の可能性があるということです。
もちろん愛の方向から外れていくことも、それぞれの自由意志において許されているわけですけれども、この大宇宙は初めから終わりまで神の愛の思いで貫かれ、圧倒的な愛の思いに満ち、私たちの存在自体が愛のかたまりですから、愛に同調できなくなれば進化は止まってしまうのです。
それは進化が止まるだけではなく、むしろ逆に退化していってしまうという結果を自ら受け取っていくという、そういう事実がこの宇宙にはあります。
愛の指標
努力はむやみやたらにすればいいというものではなく、それが愛の軸に沿っているかどうかが大切なことです。
その指標は、どれだけ多くの人の役に立ち、力になれるかということ。そして、どれだけ多くの人を愛せるかということです。それがこの大宇宙を貫く神の愛の思いであり、神の子である私たちの進化の方向性です。
その方向性の中に多種多様な、色とりどりの愛の表現があり、神の子としての自らに与えられた唯一無二のかけがえのない愛の個性を、神の一部として生かしていく道があるのです。
愛を学び、愛を表現するというベクトル以外に私たちの霊的な進化というものはありません。