「親ガチャ」というのは何か
「親ガチャ」という言葉が若い世代で使われているということで、ネット上やテレビなどでも取り上げられているのを見たことがある人もいるかと思います。
私も子どもの頃、駄菓子屋さんなどに置かれている「ガチャガチャ」をしたことがあって、懐かしい感じがしたんですけれども、ガチャガチャというのは、硬貨を入れてレバーを回すとプラスチックのカプセルが出てきて、その中におもちゃなどが入っているものです。
何が出てくるかはレバーを回してみないと分からず、当たりもあればハズレもあったりして、まさに運次第です。
また、「ガチャ」というのは最近のソーシャルゲームなどで使われている用語でもあり、課金をすることでランダムでアイテムがゲットできるというものでもあります。
これも良いアイテムなのか、それとも使えないアイテムなのか、どちらが手に入るのかはやはり運次第というものです。
つまり、「親ガチャ」というのは自分で親は選べないという意味で使われていて、どの親のもとに生まれてくるかは運次第だということを言っているわけです。
「自分の人生がこんな状態なのは親のせいだ」という子どもの思い
若い人たちがこの言葉を使うとき、そこにあるのは「自分の今の人生がこのような状態になっているのは親のせいである」という思いが透けて見えます。
「なんでこんな親のもとに生まれて来ちゃったんだろう。なんて自分には運がないんだろう」
そのような思いが「親ガチャ」という言葉には込められています。
それを聞くと、自分の不幸を周りのせいにして自分の人生を変えていく努力をしない言い訳にも聞こえてくるわけですけれども、確かに若いときの家庭環境というのはその人にとってかなり大きな影響を与えるものです。
「あーあ、違う親のもとに生まれていたらなあ」と一度や二度は思ったことがあるという人も多いのではないでしょうか。
しかし、その家庭環境もすべて折り込み済で生まれてきているとしたら?
自分で親を選び、自分で決めてきたという事実
結論を言うなら、親を選べないというのは事実ではありません。
私たちは実際にはどの親のもとに生まれてくるかは自分自身で決めて生まれてくるからです。
親子の関係は偶然や運で決まるようなものではなく、そこには本人の意志が確かに働いているのです。
自分で決めてきたと言われても、この世に生まれてしまえば普通はそのようなことは覚えていません。
しかし、中にはそれを覚えている子どももいます。
『おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる!胎内記憶ガールの日常』(竹内文香/飛鳥新社)という漫画がありますけれども、これは作者の娘さんが生まれてくる前の「お空での記憶」を語った内容を漫画にしたものです。
そこでは、生まれてくる前の子どもたちが空の上から地上を見下ろしていて、どのお父さん、お母さんのところに生まれていこうか選んでいるという話が出てきます。
子どもはどの親のもとに生まれていくかを自分で決めると、すべり台を滑ってお母さんのお腹に入っていくのです。
そのような話が漫画の中では色々と出てくるわけですけれども、聞いている親にとっては半信半疑ということもありながら、実際にはそのようにして子どもが親を選んで生まれてくるということをその漫画に出てくる女の子は私たちに伝えてくれているわけです。
人は縁があって親子となる
親子の縁というのは、その子がお父さんとの縁が深いのか、お母さんとの縁が深いのか、そのどちらかです。
たとえば、三人の子どもがいたとして、三人ともお父さんの縁で生まれてくることもあれば、三人ともお母さんとの縁で生まれてくることもありますし、一人はお父さんで二人はお母さんということもあります。
それはそれぞれの魂の歴史の中で、過去世においてお父さんのほうと縁が深い子どももいれば、お母さんのほうと縁が深い子どもいるということです。
それぞれ色々なケースがあると思いますけれども、やはり過去世においても親子で生まれていたとか、前回は自分が子どもとしてお世話になったから今回はこちらが親になってお世話をさせてもらうとか、いずれにしても何らかの縁があって親子になっているのは確かなことです。
それを選んだのは自分自身であり、誰のせいにもできない
『おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる!胎内記憶ガールの日常』では、どこに生まれていこうか考えているときに、この人がいいかなと思って実際にそのお母さんの様子を見にすべり台を降りて行くというシーンも描かれています。
しかし、様子を見てみたら、そのお母さんがグータラな人だったのでそこに生まれていくのはやめたという子どもいたりするんですね。
それはつまり、子どものほうが自分で親の様子や環境を見て、生まれていくかを判断しているということでもあります。
地上側に子どもを受け入れる準備ができているか、そして、生まれた後にしっかり自分を育ててくれるかを子ども自身で判断しているわけです。
その選んだ環境の中で魂としての学びを深めようと思い、人は生まれてきます。
ですから、それを選んだのは他でもない自分自身であるのであって、誰のせいにすることもできないものです。
「親ガチャ」に抜け落ちているのは霊的な視点
「親ガチャ」という言葉に抜け落ちているのは霊的価値観です。
その言葉の裏にあるのは「人間はこの世限り」という間違った考え方であり、それは真実から遠く離れたものです。
本当はこの世に生まれてくる前から私たちは存在しており、自分で親も決めて自分で納得して生まれてくるわけですから、やはりその中ですべてを前向きに捉えてがんばってみることが大切ではないでしょうか。
「お金持ちの親のもとに生まれていれば、自分の人生はもっと楽だったのにな」という人もいるかもしれませんが、ただ楽をするためであれば生まれてくる意味などないと思います。
楽な環境の中で人間は成長するかというと、やはりそんなことはないわけで、もちろんお金持ちの子どもに生まれればそれはそれでまた別の悩みや苦しみが生まれてくるということもあるわけです。
いずれにしても自分に必要なものを自分で選び取った結果が今の自分であり、そこから何を学ぶかということが大事なことだと思います。
親子の縁は運次第ということはない
親子の縁というのは偶然ではなく、運次第ということもありません。
自分で選んだ環境が与えられているのであり、ある意味では、「親ガチャ」はすべてが当たりです。
ハズレに見えることも、本人にとっては本当は当たりなのです。