ともすると人は誰かを責め立て、裁きがちなところがあるものです。
他人の失敗やミスが赦せないという人もいると思います。
しかしながら、この世界に自分も含めて完璧な人など一人もおりません。
罪や過ちを全く犯したことがないという人も一人もおりません。
誰かを赦せないという思いに駆られたときには、私たちは常にそれを心に留めて、忘れなければ、誰かを裁く思いに振り回されることもありません。
裁くというのは愛とは正反対の思いであり、不調和な思いなのです。
心に不調和な思いを持てば、苦しむのは誰でしょうか。
それは他でもない自分自身であります。
罪や過ちを犯した人に対しても、それを赦さず咎め立てるのではなく、その苦しみに寄り添い、また再び立ち上がっていけるように励まし、支えることが優しさというものではないでしょうか。
大宇宙の神は決して裁くことはありません。
神はすべてを赦され、赦され続けて、無条件の愛で私たち神の子を生かし育まれ、温かく見守られています。
愛とは赦し合いであり、ありのままを受けとめて共に生きることです。