人は誰もが生きる原動力を求めています。
何のために生きているのか。
何をするために生まれてきたのか。
つまりは、生きる意味を求めている。
その生きる意味は一人ひとり違っています。
それは誰も教えてくれません。
自分で発見しなければいけないのです。
しかし、人として生きる意味というのは、大きな視点で見れば一つです。
それは「愛を学ぶ」ことです。
愛というのは、家族や恋人に対するものだけではありません。
恋愛ということだけでもありません。
愛というのは、他人の痛みを自分の痛みとして感じることでもあります。
例えば、病院に行くと、白衣を着た先生や看護師さんたちが、患者さんの痛みや苦しみを我が痛みと捉えて治療に当たっています。
患者さんの苦しみをいかになくしていくか。そのことに力を注ぎ、自らの使命として命を燃やしている人もいます。
また人間関係を通して愛を学ぶこともあります。
互いに傷つけ、傷つき合いながらこの世界を生きているのが私たちでもあります。
そんな中で、相手を責め立て、裁くのではなく、赦すこと。
自分を裏切った相手、自分をひどく苦しめた相手を赦すとはどういうことなのか。
それは、相手ばかりに非があるのではなく、自分にも至らないところがあったのではないかと気づき、相手に詫びることでもあります。
もう面と向かって詫びることができない状況であったとしても、思いはエネルギーですから、その相手をイメージの中で思い描いて詫びれば、その思いは必ず相手に伝わるものです。
愛というのは独占の反対でもあります。
それは分かち合いということです。
そして、「自分のために」ではなく、「他の人のために」というものです。
利己ではなく利他です。
そのようなことを一つずつ人生の中で体験を通して学ぶのが人の生きる意味です。
そして、学んだ愛を通して、より多くの人たちを幸せにしていく。
この世をより素晴らしい世界にしていく。
そのために私たちは存在しているのです。