なぜ人はこの世に生まれてくるのか
あるところに、人生に悩んでいる人がいました。
「自分はなぜこの世に生まれてきたんだろう?」
「生まれてきた意味とは何だろう?」
そんな疑問が頭に浮かんできては沈んでいき、明確な答えというものを出すことができませんでした。
この世とは魂の修行場
あるとき、「この世とは魂の修行場である」という言葉を目にして、「魂?」、「修行場?」ということについて考え始めました。
「どうやら人間というのは魂を鍛えるためにこの世界に生まれてくるらしい……」
そうは聞かされても、日頃全然良いこともなく、辛くて苦しいことばかりなので、人生がイヤで仕方ありませんでした。
辛いことや苦しいことも、生まれてくる前に自分で計画をし、より魂を成長させるために自ら設定してきているということを知ったものの、そんなことは全然信じることはできませんでした。
「もし魂というものがあるのならば、なぜそれを鍛える必要があるのか」
「そんな修行など全然やりたくもないし、もっと楽をして生きていきたい」
そう思っていたとき、突然病気になり、しばらく寝たきりになってしまいました。
生かされていたことに気づき号泣
ベッドに横になりながら、それまでの人生を振り返っていると、お世話になった人たちの顔が次々と思い浮かんできて、自分が多くの人たちに生かされていたことに初めて気づきました。
そのとき、涙が溢れて止まらなくなりました。
心の奥底から感謝の思いが湧き上がってきて、「これまで多くの人から受けてきた恩を今度は自分の番として他の人に返していけるようになろう」と思いました。
そう思ったとき、病気も治り、身体もすっかり元気になりました。
この宇宙に偶然は一つもない
それから、「この宇宙に偶然はない」という言葉があることを知り、病気になったのも偶然ではなく、自分にその気づきを得させるために、そのきっかけが与えられたのかもしれないと思うようになりました。
そして、もし魂というものがあるならば、その気づきというものは魂にも深く刻み込まれたに違いないと思いました。
「人はこの世での様々な経験を通して多くの学びを魂に刻み込み、進化するために生まれてくるのかもしれない」
そう思ったとき、あらゆる出来事というものが自分自身の魂を磨くために用意されているものだと思えるようになりました。
魂を磨けば磨くほど幸せになる
「魂は磨かれれば磨かれるほどダイヤモンドのように光輝く。そして、その光でより多くの人たちを幸せにしていくことができるようになる」
「それこそが魂修行の目的であり、究極的には魂をつくられた神様への恩返しになっていくのかもしれない」
それ以来、その人に色々な悩みが浮かんできても、それは魂を鍛えるトレーニングだと思えるようになり、悩みというものは消え去っていったのでした。